シェーグレン症候群と一緒じゃよ!

日常の細かな事あれやこれや

父とのこと

今日は上あごのかさぶたが広がったこと、喉痛く、舌が荒れすぎ注意報。風邪みたいになってちょっと注意。


朝がね。。慣れるまでが精神的にもつらいなぁ。
多少の熱では、家で寝てるよりも散歩でもいいから出かけないとと思う。
その方が心身ともに良い。痛いのが忘れられる。
朝が本当につらい。なんでしょう。


この年になっても、つらくなると、つらかったことを思い出してしまう。
整理がつかないんだな。


父は子どもの頃から、自分の稼いだものは自分で使ってしまい、母には1万円とか5千円とかぎりぎりの食費などしか渡してこなかった。母は自営業を一生懸命頑張って、夜中も働いていたなぁ。いつも貧乏と戦っていて、疲労困憊しても働いている姿と、それでも優しい母の姿しか思い浮かばない。それでも、死ぬまで何もできなかった私を私が振り返る。


父は外で愛人を作って母ががんで入院した時に愛人を連れて来て、母に「どうせ汚いパンツはいてるんだからパンツ持ってきてあげたよ。」なんて言った。愛人のおふるの洋服を今でも私たちに送り続けてる。母はがんとその後の脳梗塞で亡くなった。


病気になってからも母がアルバイトで稼いだお金を父が持ち出して使い切ってしまう。
お葬式代がない。


母には何もできなかった。人間はいつか報われるものと勝手に思っていたけれど、そんなことないんだなと、その時思った。


私は、父に愛情を感じることはできない。
高校も、出なくていいと言われたが、母が頑張ってくれた。妹の学費は私がアルバイトで建て替えた。妹は公立が落ちてしまい、父の怒り「高校なんて行くな。おれの遊ぶ金をどうしてくれるんだ!」と言われ結局国から借りれた。


母が亡くなる前も遊びに行っていて、ろくろく病院にも来なかった。


それでも今でも、毎月何かとお金が必要となると、妹と払っている。もういくら使ったかわからない。母を苦しめてきた父に、気持ちはない。


私は、親に頼んで奨学金の保証人になって欲しいと言ったが、だめだった。
だから、子供には絶対に絶対に自分の好きな道に進ませてあげたかった。


だから私なりには頑張ってきたが、失速。こんなんになってしまい、
今は、この先、子供に迷惑かけないようになんとか暮らしていきたいと思ってる。


父はやっとのこさ入れてもらったグループホームだけど、やはり世界は自分中心。
グループホームの人を巻き込み、いろいろと文句を言ってくる。これでもぎりぎりの状態で関わっているのに何も事情を知らないホームの人からも「娘さんだし、毎日来てください」と言われる。


ろくに働いていない、働けてない私なので、こういわれる。


でも、正直、無理なんだ。体だけでなくて、そうすることで自分が苦しむ。


ま、私も富豪だったら、なんもかも忘れれることができるだろが、
今は、正直それでどころでない。この先、自分の足で立っていたい。


体調不良で辞めざるを得なくなってしまった仕事から、全く違う仕事を一からやり直して、もがいてあがいて、生活の立て直し。
どうにかしなくてはならない。


ま、こんな時はよくある負の連鎖が私にもあるのだとやり過ごすOR
「いつもの不安」「初めてでない」「不に安じている」
動け!筋肉つけろ!みたいな。。


父と同じように自分の不安を埋めようと必死になってる時があるんだね。
それを子供たちに見せないように見せないようにしてきたが、はたしてどうだろうか。


それにしても、この頭の悪さはなに??
いまだに事業主借と事業主貸がわからないなんてもう。。